“子育ての罪悪感”は見方を変えれば”愛のかたまり”。抱えて苦しむものではない✨

お母さんと子ども

こんにちは😊子育ての失敗エキスパートwカヨちゃんです♡

 

今まで3人育ててきて、失敗ばかり。悩みばかり。思うようにいかないことばかり。

 

でもだからこそわかったこと、遠回りして気がついたこと、愛が深まったこと、たくさんあります。

 

そのなかでも親が抱きがちな”子育てへの罪悪感”について、お話ししようと思います。

 

自分が理想とする子育てができずに、子どもを苦しめているような気がするお母さん・お父さん。

私はこの気づきでとっても救われたので・・・

 

見方を変えて少しでもラクになるお手伝いができたらうれしいです😊



私が子育てに”罪悪感”を抱くまで

罪悪感を抱える人

すっごいタイトルだなー😅笑

私は何も最初っから自分の子育てに対して罪悪感を持っていたわけではないんです。

 

でもそれは次第に自分の首をしめていきました。

 

その流れはこんな感じでした。

 

最初のお産&育児はただ夢中

可愛い赤ちゃん

 

わが家は三人娘がいますが、私は長女と次女を連れての離婚経験があります。

その第二子出産のとき、私は人生で1番の難関を迎えました・・・😢

 

一人目のお産のときにも、「自分が人様の親になれるのだろうか?」と自信がないままスタートしたのですが、子どものあまりの可愛さに夢中になり、あっという間に1年と10ヶ月が過ぎました。

 

その当時は仕事もしていなかったのでまさに一心同体状態。

子どもと自分の境目が自分でもわからないくらい。

 

完全にふたりでひとつになっていました。

 

それくらい可愛くて可愛くて・・・

”子どもは好きじゃない”と思っていた自分の概念をがらがらと崩した彼女の愛らしさ。

自分がここまで愛を持って人のために生きられることに感動すら覚えていました。

 

でもそんな愛情いっぱいの暮らしも、二人目のお産で一気に壊れていきました😱



二人目が産まれてから始まった”子育ての罪悪感”

ちょっと寂しそうな子ども

 

二人目が産まれてから、もともと家にあまりいなかった前夫がさらに仕事に趣味にと帰らなくなり、もちろん育児は私任せ。

声をかけたり、例えばオムツ交換ひとつ頼んでも「えっムリムリムリ。何をすればいいかわかんない」と答えるくらいでした。

 

まあ、私がそういうふうにさせてきちゃったからなんですけどね😱

でもここでそれを掘り下げるとまた別の話になってしまうので、今日は自粛します(笑)

 

そんな状態で始まった長女と次女の子育て。

はなから私は一人で抱える気でいたんですね。

自分がやるしかないと。

 

今ならわかります。

 

んなことできるはずない!

って😭

 

でもその時はわからなくて、ひたすら「頑張らないと!」と自分を奮い立たせた。

 

その結果、自分のキャパシティをはるかに超えて、ボロボロになりました。

 

悲しいことにそのしわ寄せが全て、まだ2歳にも満たない長女へと行ってしまったのです。

 

今まで一心同体だった長女。

彼女のことなら、彼女の意思・希望・求めること、なんでもわかりました。

そして今まではそれにほとんど応えられてきた。

次女が生まれるまでは。

 

生まれたての赤ちゃんを抱え、長女の望みや要求に今までのように応えてあげる余裕がなくなったのです。

 

重ねて言いますけど・・・

 

あたりまえなんだけどね。

 

でもその時は気がつかなかったんです。

 

そして今まで溺愛していた長女に、つらい、今までだったら考えられないような仕打ちをしている自分に大きくのしかかってきたもの。

 

それが”罪悪感”でした。

 

ひたすら”できない自分”を責める日々

自分を責め続ける女性

 

今まで目に入れても痛いどころか入れっぱなしってくらい溺愛していた長女。

 

でも出産後目にしたのは、初めて長女を疎ましく思う自分。

泣いている長女に背を向けて次女に授乳する自分。

疲れ果て、泣いたふたりを抱えてどうすることもできずに涙する自分。

まだ2歳にもなっていない子に「お姉ちゃんだから」と我慢を強いる自分。

こんなに出来ない自分。

こんなに愛せてない自分。

こんなに長女を邪険にしている自分。

こんなにこんなにこんなに・・・・

 

自分で自分にダメな烙印を押し続ける毎日。

 

正直、しんどすぎたのかあの頃のはっきりとした記憶はありません。

 

でも曖昧でぼんやりとした記憶の中で、長女を裏切り、傷つけた自分の数々の映像だけは心の中にくっきりと残っているのです。

 

それは長年私を苦しみ続けさせました。

 

そしてそれがピークの時には私こうとまで思ってしまいました。

 

私は自分の子どもに愛情が抱けない人間だ

 

これってほんと末期の状態だと思います。

今振り返ると。

 

ああ、しんどかったなあ😭



”子育ての罪悪感”の捉え方を変える

朝日が昇る草原の木

 

そこで私は途中から考え方を変えました。

 

今でもその当時のことを思うと、長女がどれだけつらかっただろう・・・と思って涙が出てきます。

姉妹で喧嘩をしていると「ああ、あの時のつらさが根っこにあるのかも?」なんて思ったりもしてましたね。

 

でも、自分の育児に対してマイナスなイメージを持ち続けることを、ある日「やめよう」と思いました。

 

そう思えたのは発想の転換です。

 

”子育ての罪悪感”の出所を考えてみた

朝露に濡れたピンクの蓮の花

 

そもそもこの”子育ての罪悪感”ってどこからきたものでしょうか。

それを知って私はものすごくラクになったんです。

 

罪悪感の中身は、私の場合こんなものでした。

  • つらい思い、悲しい思いをさせ、彼女をとても傷つけている
  • 溺愛していた彼女に裏切りを感じさせている
  • 小さいのにとても我慢をさせている

 

なぜなら、

  • 長女に今までのようにしてあげられてないから
  • 彼女を愛せてないから
  • 彼女の望みに応えられていないから

 

これってつまりは・・・

⬇︎

本当はしてあげたいことが満足に”できてない”ことに罪悪感を抱いている

ってことなんですよね。

 

自分がしたい愛情表現が思うように出来ていないことに対して罪悪感を抱いている。

ってことなんです。

 

だから末期のときに感じたように、

長女に愛情を抱けていないわけではなかったんです。

 

逆に

有り余る愛情があったからこそ、それをそのまま彼女に表現してあげられないことがとてもショックだっただけ。

 

愛情はめっちゃあったんです。

めっちゃ愛しまくっていたんです。

 

だからこそ、起こる悲しみや自分への期待ハズレなショックなどの感情が”罪悪感”として現れたのです。

 

出来なくて当然な状況で、必死になってやろうとして、できなくてショック受けて、自分を責めてた私。

最後には欠陥人間なダメ親として自分を責め抜いていた私。

 

そうじゃなくて、

 

めっちゃ愛せてたし、めっちゃ努力はできてたんだ。

 

ただ力が及ばなかっただけ。

 

もっともっと人に頼ってよかったのに、そのことに気がつかなかっただけ。

 

愛は確かにあったんだ。

 

あーーーーーー

 

やばい。

書いてて涙出てきました(笑)

 

私、めっちゃ必死に頑張ってたんだなあ・・・

 

えらかったなあ。

 

ほんとえらかった。

 

どんな状況でも、他人を責めず、子どもを責めず、ただただ自分の努力が足りないって思って必死で頑張った。

 

でもそれは子どもへの愛があったからこそ、そこまで頑張れたことだったんだね。

 

この罪悪感の正体は、子どもへの深い愛だった。

 

私はちゃんと子ども達を愛せてたんだ。



さいごに

お母さんと子ども

 

もー今号泣でこれ書いてますけど(笑)

 

いかがでしたか。

 

なかなか育児がうまくいかなくて、自分の”子どもへの愛”を疑って苦しい思いをしている人が、少しでもラクになるといいなぁと思います。

 

そんな今とても苦しい人に、あの時の私に、今ならわかることを言ってあげたい。

 

大丈夫😊

 

愛してるからこそ、悩むんです。

 

愛しているからこそ、してあげられない苦しみを抱えているんです。

 

愛しているからこそ、「子どもに悪いことしているなあ・・・」って感じるんです。

 

それはすべてあなたの深い愛から来ていることなんです。

 

一見つらくても、あなたの子どもへの愛は必ず伝わっています。

 

だって愛あって起こっていることに間違いはないから。

 

これからもがんがん迷いながら失敗しながら、どこまでもどこまでも子ども達を愛していきましょう😊

ではでは、カヨちゃんでした😄💕