こんにちは!3人娘の父親のサッシです♪
「部活は何やってるの?」
年末年始に親戚や友人と会う機会が多かったのですが、その中でうちの中学1年生の長女に必ずと言っていいほど投げかけられたのがこの質問。
僕はそれにすごく違和感を覚えたというお話です。
違和感の原因
まずはっきりお断りしておきたいのですが、別に質問してくる人を責める意図はまったくありません!
中学生の子と話しやすいであろう話題の一つとして聞いてくれているということ。それはもちろん承知の上です。
そこんとこ、誤解しないでくださいね!!
中学生になったと聞くと、もれなく「部活は何やってるの?」という質問がなされること。
そのこと自体に「あ~何でだろ?」と疑問を感じたよ~というお話です。
自分には無い発想だから

違和感の原因は何なのでしょうか?
なぜ、「部活は何やってるの?」って質問が頻繁に来ることに僕は違和感を感じるのか?
自問自答してみると、どうも端的に「自分には無い発想だから」ということのようです。
僕は誰かの子どもちゃんに会った時に「部活は何やってるの?」って聞いたことがありません。
そっか、だから「ん?」って感じになるんですね!
自分にとって部活は「選択肢の一つ」だった
僕が中学生の頃を思い返してみると、部活は「選択肢の一つ」でした。
ハンドボール部に入っており、けっこう楽しかったです。
でも、あくまで僕にとっては友達との遊びの中の一つという感じでした。

教室で遊ぶか、部活行って遊ぶか、さっさと学校を出て遊ぶか。
友達とどこで遊ぶかっていう場所の選択肢の一つという感覚ですね。
「部活=中学生の象徴」みたいに感じるので、反応できない
僕にとっては部活は友達と遊ぶ場所の一つに過ぎなかったので、別に部活が無いなら無いで全然構わない。
むしろ、中学生になってギターに出会ってからは楽器三昧だったので、自宅や友達の家でギター弾いたりしている時間に「居場所」を感じていました。

中学生の自分を構成する要素の中で、部活の占める割合がめっちゃ低かったんですね。
だから、うちの長女が中学生になったと分かると「部活は何やってるの?」って質問が来ることに、僕は馴染めないようです。
「部活=中学生の象徴」みたいに感じて、反応できないんですね。自分の中で部活の存在が小さすぎて。
例えるなら、プロ野球を観る習慣が無いのに「野球はどこファンですか?」って聞かれるような感覚です。
「え、そもそも野球観ないんですけど・・・」みたいな感じ。
それが違和感の原因だったようです!
部活以外にも居場所を持てるという発想を誰もが持っていてほしい
スクールカーストなんて言葉があるように、なぜか学校だと運動系の部活に入っている人が上位に位置して、帰宅部の人は下位に位置付けられる傾向がありますよね。
なんか部活していないと学校っていう組織の蚊帳の外って感じ。
でも、部活以外にも居場所を持てるという発想を誰もが持っていてほしいと思います。
生徒も、先生も、保護者も。大人みんなが。
学校内でも、委員会活動に熱中してもいいし、図書室に毎日通い詰めてもいいし、ただ校内で友達とおしゃべりしているだけでもいいんですからね。
帰りの会が終わったらさっさと学校を出て、地域や家庭に根差してもいいんだし。
うちの長女は部活は入ってないけど、三線とフラダンスの教室に通っています。
そもそも、特に何もしない時間をたっぷり持ってほしいと僕は思っています。
中学生くらいの時期って、そういう時間に日々のインプットをじっくり消化して、たしかな自分らしさが出来上がっていくんじゃないかなー。
中学生に会ったら、「部活は何やってるの?」よりも「学校は楽しい?」ってまず聞く世の中であってほしい。
「部活は何やってるの?」って聞かれる度にちょっと困った顔になる中学1年生の長女のそばにいて、そう感じます!
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